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004 一人は嫌だ

last update Last Updated: 2025-04-02 19:03:45
「……はい?」

「だから、大地の家に泊めてって言ってるの」

「……」

 こいつ今、何を言った?

 カップを置き、海を見る。

 冗談を言ってる顔には見えなかった。

「いやいやいやいや、おかしいだろ。自分の家に帰れよ」

「私の家、解約してるから」

「……」

「逃げられない状況にしないと覚悟も出来ない、そう思ったから」

「いやいや、それならホテルにでも泊まれよ。金はあるだろ」

「そうね。お金はそこそこ持ってるわ」

「ならそうしろ。何で出会ったばかりの男の家に泊まるんだよ。その発想おかしいから」

「おかしくなんか……ないって言ったら?」

「いやいやいやいや、おかしい、おかしいから。あと、その小動物が餌をねだるような顔で俺を見るな。お前ずるいぞ」

「だって……寂しいんだもん」

「もん、じゃねえよ。寂しいってんならぬいぐるみでも買って抱いとけ。見ず知らずの男の家に泊まるだなんて、何考えてんだよお前。男なら誰でもいいのかよ」

「そうだよ」

 海が真顔で答えた。躊躇なく。

 その言葉に大地の顔が強張った。

「誰でもいい、そばにいて欲しいの。一人でいるのは……もう嫌だから。辛いから」

 濡れた瞳を見せないよう、海がうつむく。その姿を見て、大地はようやく海の本当を見れたような気がした。

 でも。

「……大切なパートナーを失ったんだ。辛いし寂しいだろう」

 レシートを手に立ち上がる。

「でも、それとこれとは話が別だ。俺は海のパートナーじゃないし、保護者でも友達でもない。それに今日会ったばかりの女を泊めるほど、肝の据わった男でもない。悪いがその要求には応えられない」

 大地がそう言うと海は涙を拭い、小さくうなずいた。

「そうだよね……我儘言ってごめんなさい。今の言葉、忘れて」

「ああ」

 * * *

 支払いを済ませ外に出ると、海は大地に頭を下げた。

「ごちそうさまでした。それからその……飛び込むの、邪魔しちゃってごめんなさい」

 海の態度に面食らった大地だったが、それを悟らせないよう努めて静かに答えた。

「いや、その……それはお互い様だ。見方を変えれば、俺も海の邪魔をした訳だし。だからまあ、ごめんな、海」

「うん……」

「これからどうするんだ? この辺は分かるのか? ここまで付き合ったんだ、泊まる場所、一緒に探しても」

「ありがとう。大地はほんと、優しいね」

「いや、これぐらい
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    「で、あいつのどこを好きになったの?」 いきなりの剛速球に、海が困惑した。 * * * 休憩時間。 運動場のベンチに並んで座り、青空〈そら〉が煙草に火をつけた。「青空〈そら〉さん、直球すぎます……」「あはははっ、ごめんごめん。大地に言わせれば私、アイドリングを知らない女らしいから」「何ですかその例え、ふふっ」「でも休憩時間も短いし、前置きはいいでしょ。それでどうなの、ほんとのところは」「私は……」 空を見上げ、海が目を細める。 昼下がりの住宅街は静かで、心が洗われるような気がした。 今なら素直に話せるかも、そう思った。「大地のどこが好きとか、そういうのはないんです。何て言ったらいいのかな、さっきの青空〈そら〉さんの言葉じゃないですけど、大地といると肩肘張らず、そのままの自分でいられるって思ってたんです」「それ、いいことだと思うよ。結婚してからの必須条件だから」「そうなんですか?」「うん、そう。私も浩正〈ひろまさ〉くんと住むようになって思ったんだけどさ、言ってみれば私たち、他人な訳じゃない? だからその人が何を感じ、何を思ってるか分からないから、いつも気になってしまうんだ。そしてそれが積み重なっていく内に、いつの間にかストレスになってしまう」「浩正さんともそうだったんですか?」「そうなると思ってた。だから最初の内はかなり気を使ってた。でもそんな時、浩正くんが言ったんだ。『そういうの、疲れませんか』って」「……」「その言葉を聞いてね、思ったの。勿論、最低限の礼儀はいるよ? でもね、必要以上に気遣うことは、言ってみれば相手を鎖で縛ることになるんだ。 そしてこうも思った。考えてみれば私、大地に対してはそんなことなかったなって」「それってどういう」「あいつは弟、家族だ。家族ってのは、そう

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     朝目覚めて。 目の前に大地の背中があり、安堵した。 微笑み顔を埋める。 そして思った。思い返した。 昨日大地に言ったことを。「私はそんな大地のこと、好きだよ」「大丈夫、今のは友達としての好きだから」「今はまだ、ね……」 自分の言葉に赤面し、動揺した。 なんで私、あんなこと言っちゃったの? 大地と出会って1か月。色んなことがあった。 知らなかった世界に触れた。 そして。大地や青空〈そら〉さんの過去を聞いて。 いかに自分が恵まれていたか、幸せだったのかを知った。 甘えていたのかを知った。 両親との別れは辛かった。 裕司〈ゆうじ〉との別れに絶望した。 でも。それでも。 あの人たちとの思い出に、私の心は温かくなった。 しかし。大地はどうだろう。 過去を思い出すたび、身が引き裂かれるような思いをしてるに違いない。 それでも彼は笑顔を絶やさず、人々の為になろうと生きている。 そんな強さに憧れた。 だけど。 今自分の中にある感情は、ただの憧れとは思えなかった。 そして、その感情に覚えがあることに気付いた。 その感情。それは。 裕司に向けたものと似ていた。「……」 そんなことある? 私にとって、愛する人は裕司だけだ。 彼に会いたい、その一心で命を断つ決意もした。 その私が、裕司以外の男に心を寄せている? そんな馬鹿なこと、ある訳がない。 それは裏切りだ、不義だ。許されるものじゃない。そう思い、打ち消そうとした。 しかしその時、大地の言葉が脳裏を巡った。「生きるにしろ死ぬにしろ、それは海が決めることだ。俺はただ、その選択を尊重するだけだ」「死ぬまでここにいればいいよ」 大地らしい、デリカシーの欠片もない言葉。でも温かい

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